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立場を表明しないこと・主語の大きさを反省した

この記事は約1分44秒で読めます

先日「女の子がヒーローの映画が多くて嬉しい。そういうのに飢えてた!」という記事をこのブログに書き、その翌日、Modern Syntax Radio Showの収録に脇から参加させていただいて、記事でも書いた『バンブルビー』の話をしました(4月5日現在まだ公開されていませんが、カットされるかな?)。そのときに「きちんと自分の立場を表明すべきだったな」そして「主語を大きくしてはいけなかったな」と帰りの道すがら反省していました。

先日の記事では「男向け映画多すぎ! 女向け映画が少ない!」という旨を書きましたが、わたしはフェミニストを自称しません。というのも、わたし自身がフェミニズムをきちんと学んでいないのです。そんな状態で、間違った意図を発信したり、独りよがりな意見を言えば、ジェンダーについて切実に学び、考え、活動している方々が、わたしのせいで誤解を受けたり、迷惑を被ってしまうことを恐れているからです。

また、一言で「フェミニズム」と言っても、いろいろな波・思想があり、わたし自身の立場を表明できるほど、考えが深まっていないということも、自称できない理由です。

日本では、なかなかフェミニズムを正しく学ぶ機会がないため、多くのひとが思い浮かべるのが、ラディカル・フェミニズムと言う男女間の権利差を主題にしてメディアに登場していた方々だと思われます。

しかしその後、フェミニストに対するバックラッシュが起こったことで、ラディカルな方々はフェミニズムのあり方を自ら見直したりしているので、同じ人がずっと同じ主張を繰り返しているとも限りません。

世界の、あるいは日本におけるフェミニズム運動の波、種類。そしてアイコンとなるような活動家の考え方の変遷などを鑑みるまでもなく、もはやわたしのレベルでは「フェミニズム」と一言で括るのが難しいという状況であります。

さらに冒頭でもあげた先日のブログで「わたしたちの物語」という書き方をしたことも反省しています。あれはわたし個人が感じたことであって、主語を大きくすべきではなかったと思っています。

反省をしつつも、わたしが今現在、理想としている人間のあり方を考えてみました。

・ひとりひとりが安心して、のびのびと自分らしくいられること。そして、それを互いに受け入れることができること
・自分自身と未来にに希望を持てること
・もしなんらかの理由で絶望することがあっても最低限「健康で文化的な最低限度の生活」を営めること
・どんなひとであっても、どんな過去を持っていても、(自暴自棄ではない)チャレンジができること
・制度やテクノロジーで解決できる格差であれば、その格差をなくそうと心がけること

ええ。なんというか、ふわっとした綿あめみたいな理想ですが、少しでも社会や、ひとりひとりに貢献すべく、せめて納税の義務はちゃんと果たしたいと思っています……。

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