先日『名探偵ピカチュウ』を観て気がついたのですが、SF的な未来都市であっても、路地には水たまりが残り、ゴミが溜まっていました。公衆衛生を考えるのであれば、都市の汚水問題はかなり重要だと思っているので、その部分が強く印象に残りました。
公衆衛生都市・江戸
厳密な定義ではありませんが、「本郷も かねやすまでは 江戸のうち」と言うように、江戸は現・東京都より狭い範囲を指します。それにもかかわらず、近世18世紀の時代からずっと、江戸は百万都市として栄えていました。
その理由として考えられるのが、物流と公衆衛生。陸路だけでなく、輸送移動手段としての河川の整備が進んでいたため、百万都市を支えるだけのモノとヒトの行き来が可能でした。
そして河川の整備と同時に、排水のシステムがしっかり作られていたという衛生面も大きい。トイレも汲み取り式で、汚物自体が肥料として売買されていたこともあり、公衆衛生に優れた都市づくりがなされていた、という背景があります。さらに、疫病や災害の際は、江戸の外側、川の向こうにある回向院で遺体を葬り、此岸と彼岸とを分けていたことも(当時の死生観に従っていたとはいえ)、疫病の流行をとめることに寄与していたと考えられます。
ゆえに、狭い土地のなかに八百八町が成立しえた、というわけです。
SF都市の衛生管理は?
しかし、SF映画の世界ではひとが密集していて、さらに宇宙にまで生活環境が広がっている世界です。だというのに、排水がしっかりなされていないということが、果たしてありえるのだろうか? というのがわたしの疑問なのです。
シド・ミードをよく知らずに行った「シド・ミード展」では、美しい線や造形に見惚れ、1970年代の作品であっても、新しく感じるヴィジュアル・イメージに感嘆しました。
『ブレードランナー』(1982)『フィリップ.K.ディックのエレクトリック・ドリームス』(2018 Amazon Prime VIdeo)に描かれる未来でも、ものすごくハイテクなガジェットがある一方で、都市や都市に隣接するスラムの道には、汚水やゴミが溜まっていました。
少し話がズレますが、ちょうどリメイクが話題になっている『FINAL FANTASY VII』の都市ミッドガルは階層に分けられており、スラムのような場所がありました。しかし、『FINAL FANTASY X』のザナルカンドは、ひたすら清潔な都市です。
行政代執行等でスラムを強制的に排除するならともかく、人権が認められるのであれば、都市はどうしてもスラム的な場を内包することになると思うので、確かにミッドガルの方が現実的ではあります。
新しい。けれど、現実的な未来像
また話題が転じますが、日本で「ガンダム」が広く受け入れられているのは、物語としての面白さだけでなく、世界観や設定がしっかりと作り込まれていることも、大きな理由ではないかと思っています。
たとえば、ラグランジュ・ポイント。わたしはガンダム内だけの設定だと思っていたのですが、本当にあるということを下記URLで初めて知って、「ガンダムすごい!」と実感したという、ちょっと恥ずかしいことがありました。しかし、このリアルさが、「ガンダム」への熱狂をより高めているように思います。
参照URL:「何ダムのお陰なんだ…」 スペースコロニーのイメージを聞かれてさらっと言える日本人が多いのが、外国の宇宙関係者には驚きらしい – Togetter
もしかしたら。わたしたちの現在と地続きの未来として、スラムであったり、不衛生さのイメージに現実味があるからこそ、ヴィジュアル・フューチャリストたるシド・ミードが熱狂的に愛されているのかもしれない、と考えていたら――『シド・ミード展』のコピーが目に入りました。
「未来のリハーサル」
ぎゃふん。
このコピーに、すべて凝縮されていました。
リアルでありながら、圧倒的に新しい未来像を描いているからこそ、シド・ミードが素晴らしいのですね……。
シド・ミード展、会期が6月2日(日)まで延長とのことですので、まだご覧でない方は、ぜひ。
10人ずつ入場する(その中で、チケットを持っている人と当日券を買う人の受付を別にする)という形式なので、階段での待機時間はかかりますが、その分、展示会場内は比較的ゆったりと、じっくり見ることができました。それでも、もう一度行くなら、事前にアプリをインストールして、音声ガイドを借りたいです。